<クズハ>
アルに新しいスタッフがやってきました~~。スタッフというか、今回は「インターン」さんです。きゃー
前このみさんです。近々雑貨屋をひらくのが目標ということで、安いお給料で働いてくれるかわりにアルで教えられることは全部覚えて言ってね、という条件で来て貰っています。皆様、どうぞよろしくお願い致します。
このみちゃんはなんと、二十歳、ハタチですよ。今までなぜか同年齢に集中する傾向のあった私たち。クズハはさておき、ナナ、ぐっち、嵐、アッコさん、そしてのっぽくん店長の隆造までが同い年かひとつ違い。さらにバイトのかえちゃんと里美ちゃんにいたっては高校の同級生。そんな中にポーンとハタチのこのみちゃんです。新しい風期待しています。
さて、ちょっと話題に出していた、シネモンドさんで公開予定の「いのちの食べかた」、試写を観ました。
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/
野菜や穀物、塩に家畜などの生産→収穫現場がつぎつぎに、淡々と映し出され、ナレーションもなければBGMも一切ないという不思議な映画。解説らしきものがひとつもなく、「いろいろお見せします。あとはご自由に、よろしく」な映画。こんな映画ありなんや~~。新鮮でした。
観終わって、これは受け止め方も人それぞれだろうなあと。ちょっと言葉では表現できないいろんな想いがココロにうずまく映画でした。これはまあ観て下さいっていうしかないわ、と思っていたのですが、数日たってみて、少しコトバがたまってきたので
書いてみます。
大量生産の現場が、つぎつぎと出てきて、どれも撮りかたが考え抜かれているのか構図がすごくきれい。見とれます。美しい。
フライヤーには「いただきます、って、誰にいいますか?」と書いてあります。世間では、食べ物をいただくときには感謝を、といいますが、じゃあ、現代のたべものの生産現場には 命への感謝はあるのか?あの映像のなかに、いのちはあるけど(あるはずだけど)感謝はあるのか??
ご飯たべるときに感謝していても、生産現場に感謝がなかったらどうなるのか?どうもならないのか、それともやっぱりどうかなるのか。どうなんだろう?
そんなことをつらつら思いました。
たべものがないと生きていけないのに、普段はそんなことにまるで想いが行かない今の日本で、あの映画はどう受け止められるんだろう?観ていただいて、感想を聞かせて欲しい、すごくそう思います。
「誰かにいいたくなる」シーンの連続です。でも前半はちょっと単調かもしれなくて、疲れていたらコックリしてしまうかも。後半はガバッとなるシーンも続きます。お疲れでないときにお出かけください。
シネモンドさんで、12月1日(金)~21日(金)、アルにすごくお得な前売り券(1100円)あります。40枚限定です。
この映画のチラシを預かってくださる方も探しています。どうぞよろしくお願い致します。
余談ですが、最近まわりで「食べ物」の話題が多いです。NHKで連続して「どうなる日本の農業」的な番組が放送されたりしましたので、その感想が、公園でのママ同士の会話にもよく出てきます。
NHKの討論番組では「米」のことが話題になり、米が余って田んぼが荒れる現状をどう思うか?というテーマに対して、東大の先生が「もう米が主食という考え方をやめたほうがいい」と発言していました。多様化する嗜好に農家もついて行け、という主張です。会場には同意見の人が多かったです。
あ~~~ そうだよね~~ そんな風に思ってしまうよね。私もそうだった。というか、誰が作っているかとか、農業がどうなるとか、そんなことはまるで視界になかったし、口に入れば何でもいいと思っていました。何を食べていても同じだと。
土は、そんなにフレキシブルじゃない。何でも、のぞむとおりに、種さえ植えれば収穫を与えてくれるわけじゃない。私たちの体もそんなに思うとおりにならない。腸も血液も、歯も胃も、そんなに思うとおりに変化してくれない。何千年かの間、主食だった。その事実の動かしがたい重さを、私たち現代人は知らなさ過ぎるんだわー、きっと。
ましてやこの変化の時代。農家さんは、気候の怒涛の変化についていくだけでも大変なのに。
私たちは今、お金さえ出せばなんでも買えるから、そんな風に思ってしまうんですよね。でも、私たちの嗜好や流行の変化にあおられて、世界のいろんなところで、今まで食べていたものが値段が高騰して買えなくなったり、農地が荒れて困り果てたり、援助物資が届かなくなったり・・・そういう「あおり」が、調節されるどころか、報道も、意識もされないところが、恐ろしい。いつ日本もそういう立場になるか分からないのにね。
再来年あたり、危ないんじゃないの?とは、夫の意見。
「いつまでもあると思うな輸入品」