<むつみ>
輪島市・三井で、自然農法のお米作りを続けていた
「お米のまつもと」松本さんが
急逝されました。
家族でお別れに行ってきました。
20年近く前、
何かのきっかけで松本さんの田んぼに遊びに行かせてもらうようになり
いつも散々ごちそうになっていました。
自然農のもち米と何種類もの豆の入ったおこわ。
山芋だけのお好み焼き。
穴水の牡蠣。
蒸しただけでスイートポテトのさつまいも。
何を食べてもとんでもなく美味しくて
毎回、たらふく食べては苦しい苦しいと言いながら帰路に着いたものでした。
素人ながらにアルのカフェ部門を始めようと思ったのも
オーガニックのものって
いろいろ理屈じゃなくて
ただ美味しく味わってもらうことが大事なんじゃないかと思ったからですが
そう思うようになったきっかけは
松本さんちのごちそうでした。
子どもたちと松本さんが植えた桜。
子どもたちを、それこそ舐めるように可愛がる方で
とにかく周りにいつも子どもをたくさん遊ばせておいてくれて
うちの子たちも、親抜きで何度か泊まりに行かせてもらい
産みたての鶏の卵をとらせてもらい
白いご飯にかけて食べたり、
籾殻の山に登らせてもらって大騒ぎしたり。
かわいいなあ、かわいいなあ、また来いよ、つぎいつ来る?と
なんども声をかけてくださいました。
亡くなった日は、大雨だったそうですが
お葬式の日は晴天で、
満開の桜に見送られてのお葬式だったそうです。
「オーガニック」
いまでこそオシャレなイメージをかきたてる言葉ですが
「無農薬」「無肥料」をやり始めたころの、
松本さんたち(第一世代)の
ご苦労たるや。
無農薬でやる人は、ごく少なくて
その仲間とも、ケンケンガクガク、
農法のことで熱く論戦してました。
その第一世代の方たちが
お一人、お二人と他界されていきます。
皆さんが切り開いた道を
私たちが
みなさんのご苦労された分だけ楽に歩かせてもらってると
思います。
うちの長女が赤ん坊の頃
松本さんに抱っこされて笑ってる写真が
どこかにあったな、と、探しましたが
見つからず。
かわりにこれが出てきました。
しょっちゅう田んぼに連れて行ってたころの子どもたち。
私が松本さんと出会ったのは19年ほど前。
ということは、
その頃の松本さんは、48歳だったことになります。
いま、わたしは46歳。
ほぼあの頃の松本さんの年齢なんだと
今日気がついて、愕然としました。
あの頃の松本さんのように
すでに筋が通った、哲学のある生き方を
私は出来てるんだろうか。
「なんの恩返しもできないままで」と
奥さんのみよこさんにお詫びしたら
「子どもたちが元気で大きくなることが
なによりの喜びやから」と
言ってくださいました。
子どもたちが大好きだった「まつもとじいじ」
ありがとうございます。
輪島のおうちをおいとまするとき
いちばん思い出の少ないはずの末っ子が
玄関を出ながら
「じいじがいなくても、またここに来たい」とつぶやきました。
また来ようね、こんどは農作業のお手伝いに来ようね。
この山里のおいしいお米の味が残るように、お手伝いできることあるといいね。