<むつみ>
「フェアトレードは、そこまで、いうほど、役に立っていない」どころか
「けっこうましな暮らしをしている人だけが対象になってて、
ほんとに苦しい状態の人を救っていない」
「ちょっとコーヒー買ったくらいで世界がよくなるような幻想を持たせるなんて、
問題の本当のところから目をそらせるだけで、結局、逆効果」
という批判を受けたところから始まった、今回の旅でした。
一理あるなとも思いました。
貧しさの中で途方に暮れている人を、短い期間にたくさん見ましたから。
スラムや路上に流れてくる人たちには、そもそも
「田舎で、暮らせなくなって、出てきた」という人が多いです。
なぜ暮らせなくなったかというと
「農業では食えなくなった」とか「洪水や干ばつや台風や・・・」
もともと、一年に3回もお米がとれて
一度の漁で一家が十分くらせる収入が得られるくらい、豊かな国だったはずなのに。
反町さんたちがやっている、「植林としてのコーヒー栽培」は
豊かな自然を取り戻そうという取り組み。
枯れてしまった水を蘇らせるため。
水が枯れて農業が続けられなくなった田んぼにもういちど水を入れるためには
川の水源を蘇らせる植林が必要。
見えますか・・・?一面禿げ山になった地域。
大雨が降ると、カチカチになった地面のうえを
土石流が走り降りるので、下流の畑も全滅。
木が植わっているところには、水が湧いてくる。
植林の一環でコーヒーを植える。
↓
植えるときの資金を援助する。
↓
ノウハウを移転する。
↓
販路を探して確保する。
↓
前払いをして生産者の生活をささえる
↓
コーヒーが売れ続けることで、地域にとどまる道がひらける
↓
もっと木を植える
↓
水が湧いてくる
子どもを育てることが出来る。未来につながる。
ここを出て行かなくてもいい。
ここに住み続けられる。
そういう選択肢を作る、地域を守るフェアトレード。
街に流れて行かなくてすむ。
車や通行人が行き交う中で子どもを路上で水浴びさせて
働きに出るときは子どもが行方不明になるのを覚悟で路上において行くしかないような暮らしと、
地域に住んで、親戚や村の人たちに見守られながら自作の野菜を食べさせながら子育てするのと、
この違いを生み出すことが出来る、
このコーヒー栽培が「クソ」なんてことは決して、ない。
地域をもう一度つくるためのフェアトレードの取り組みが
最貧層に落ちるのを防ぐセイフティネットになれるならば。
それが「クソみたい」な「自己満足」とまで言われることは、ないと思いました。
フェアトレードコーヒーを一杯飲んだからといって、
それで世界が変わることはないですけど
飲み続けていただく、関わり続けていただくことで
確実に、守れる地域があります。
私が訪問したのは3年前ですが、
今年、はじめての収穫期を迎えたそうです!
サグボ村、順調だ。あのときの木がちゃんと植えついて育っているのを思うと、うれしい!
今日もアルではシサムコーヒー販売中。
みなさんの一杯で、緑をどんどん増やして行きましょー
その1はこちらhttp://blog.aljp.net/cm3m
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おまけの話
最近、中国の漁船のせいで漁獲量が激減している話を聞いて
漁師町出身のわたしとしてはとても心乱されておりますが
25年前にフィリピンに始めて行った頃には
「高度成長期に日本の漁船がマグロを根こそぎ取って行ったので
フィリピンの漁師が暮らしていけなくなった。
マニラのスラムに人が増えた一因」という話をきいたものです。
どこの国が悪いという話にせずに、こういう経済のあり方全体を考える必要がありそうですね。