Give,until it hurts

<むつみ>


昨日、始まってしまった、シネモンドさんのマザーテレサ映画祭。

生誕100年を記念するものだそうです。


このまえブログにちょこっとマザーハウスでの思い出を書いたら、次々に思いだしてしまってます。


カルカッタ(現コルカタ)には、本屋さんに、


「マザー語録」

みたいな本がいくつか置いてあって、買って読んでました。

少しでも、原動力を知りたくて。


世間でよく引用されているのは


「私たちは忙しすぎます。忙しすぎて、ほほえみを交わすことすらできません。

まして、近くの人に愛を与えたり、受けたりする暇などないという状態です」


てな言葉。


インドで出会ったのは、もっと激烈で、

たとえば、


「あの人たちが貧しいのは、私たちが分け合わないからです」


とか。


貧困について、これ以上の本質をついた言葉があるだろうか??と

私はほんとに、どっきりしたものです。


地球のモノには限りがあって、

仲良く分け合ったら、120億人でも余裕で食べさせることが出来るのに、


「あの人たちが食べられないのは、私たちが分け合わないからです」


「あの人たちが飲めないのは、私たちが分け合わないからです」


イタすぎてなかなか正面から向き合えない、マザーの言葉です。



裕福な子どもが通う学校の校長という、安定した立場をすてて、

自分が物乞いをして活動を始めたマザー。


与えて、与えて、与えつくしたところに本当の魂の平安がある。


Give,until it hurts



孤独で、心が真っ暗だった、あの頃の私には、焦がれるような、「平安」へのあこがれがあって、でも 何もかも与えてしまってすべてを捨てても信じられるようなものがなかった(今もないけど)ので、マザーハウスのシスターたちの働きを間近で見ながら、悶々と、悩んだものです。


炎天下、激高の湿度のなか、笑顔で、歌を歌いながら、毎日毎日、死んで行く人たちの世話をし、大量のシーツを手で洗い(重労働・・・)汚物の世話をし、看取り、・・・・


なんでこんなことが毎日出来るの?なんでそんなに幸せそうなの?

自分の私有物は、サリー二枚と聖書だけ。(あと、メガネもOKだそうです)

粗末な食事。質素な建物に、もちろんクーラーのない部屋。

小さくて素朴なマリア像。


ひたすら、一時間も二時間も、祈って、祈って・・

「神様のご意思に沿いますように」

それだけを願って、すべてを神にゆだねて生きるのです。


それって、ナニ??


私もそっち側に行ったら、心の平和が与えられるの?

行っちゃってみたい!!でもキリスト教がよくわからない!!


神様は、いらっしゃるんだと思うけど、私には見えなくて。

でもマザーが見えるからいいか。と、思っていました。26歳、インドでの夏。



あー、見に行きたいな、映画祭。

ずっとシネモンドさんにいたいなあ~



15年前

2 コメント

  1. SECRET: 0
    PASS:
    先日マザー・テレサの映画をみてきました。むつみさんに孤独で真っ暗な時代があったなんて意外でした。私からみたら天使のようでしたから(笑)ずっと考え続けてもわからないこと、今でもあります…

  2. SECRET: 0
    PASS:
    >フクマメヤさん
    ほんと真っ暗で泣いてばかりいました、カルカッタでは・・・映画は、私にはもう胸キュンでしたが、夫はぐうぐう寝ていたので、マザーテレサファン倶楽部向けだったのかな~

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です