7月1日、火曜日。
午後から、お給料の計算をしながら、事務所で
ネットで国会中継を聞く。
今日はほとんど自民党さんの質問。
すぐそこにある危機から国民を守るための平和法案なんです・・・
切れ目のない安全保障を・・
自衛隊員の身分の確立をしましょう・・・
聞いていると、どれも「そうだな」と思えてくる。
国を守るため、と真面目に信じて、一生懸命話している議員さんに
なにかケチをつける気持ちにならず
「頑張ってくれてるし、守ってもらえるなら、それでいいか・・」という気分になってくる。
そうだよね、今の生活を守るためには、
アメリカと一緒になって強い日本でいなきゃいけないんだよね・・・
仕事も生活も忙しいし、
もう何か考えずに流されてしまえば・・・・・・・・
と、ふと我にかえり、
いやいや、そもそも・・・・・・と考える。
冷静になり、「そもそも論」で、考えてみる。
どうしたらいい未来がくるのか、と考えているのは
賛成側も反対側もおなじ、としたら
(そうじゃない悪意の人もいるけどそれはちょっと置いておいて)
どこで、そもそも、道が別れたか。
なぜこれほど考え方が違ってしまうのか。
例えば軍隊は基本的にいいもので、みんなを守ってくれるもの、と
考えている人たちにとっては
軍隊は、悪い相手に立ち向かうもの。
アフガニスタンを攻撃した時(今も続いてるけど)は、
民間人の犠牲が、ものすごく出て、
一家全員(それこそ赤ん坊からお年寄りまで)
空爆の犠牲になった、
なんて話もたくさんありました。
それは、攻撃したアメリカ軍側からは
「付帯的被害」と呼ばれるそうです。
いいことをするため(悪をやっつけるため)には
こういう犠牲が出るのは仕方ない、
ちょっと行き過ぎたけどゴメンね、という被害。
でもこの犠牲のおかげで、世界は少し良くなったでしょう?
という発想。
辛いけれど世界は厳しい。戦い続けるしかないんだよ、という考え方。
一方、私は、
一家全滅させられたお家でただ一人生き残ったお父さんの悲嘆を
忘れることができません。
「子ども3人をいちどに失って、
これからどういう人生を送ればいいんだ?」と
瓦礫から掘り出した小さな子どもの体を抱えて
途方に暮れていた。
あの悲しみを「付帯的被害」と考えることができない。
あのお父さんが、
「無差別攻撃をしたアメリカ(と、その仲間達)に仕返しをしたいと考えて
テロリストグループに入ることもあるでしょう。
(残酷な仕返しをするために ISISのメンバーになっているかもしれない。)
それを抑えるために出撃していくのは
多額の奨学金を返すために軍隊に入るしかなかった
アメリカの貧困層の若者。
弱者同士がお互いの体に火を付け合う。
みんなが被害者のように思えてしょうがない。
軍隊という装置が、弱者を吸い込み、
さらなる弱者を作っているように見える。
もう20年まえですが、
タイとカンボジアの国境に一ヶ月滞在した時に聞いた話を
なんどでも思い出します。
政府軍とゲリラ軍の戦闘が続いていた場所。
(タイ国境に新設された保育園でボランティアの図)
「村人は、政府軍から声がかかれば政府軍に協力して戦う。
そうするとゲリラ軍から家に火をつけられたりするので
しかたなくゲリラ軍にも協力して戦う。
どちらについても、殺される。
死の往復ビンタ、だよ」
忘れられない話。
ISISが脅威だ、と言われてるし
実際にものすごく残酷で、身の毛もよだつ悪者ぶり。
これを叩くのは絶対の正義のように思える。
けど、実際に叩くとなったら
前線に出てくるのは、
誘拐されて兵士にされた少年たちだったりする。
神も仏もない、暴力の中で育った子達は・・・・
はあ、
世界平和、どこまでも遠いのか。
7月1日は、U-22のサッカー代表が
リオ五輪予選のために強化試合をしていて、
相手は「コスタリカ」
= 軍隊を捨てた国。
一緒にテレビを見ていた息子に
「コスタリカって何で軍隊やめれたん?
コスタリカのまわり、平和なん?」と質問される。
いえいえ、中南米は
血みどろの紛争、内戦、圧政、また紛争だった。
不安定さは日本周辺の比じゃないみたい。
それでも軍隊を捨てた。
軍隊があるとリスクが高まる、という
「現実的な判断」のもと。
「平和ボケ」ではなく、
軍隊がないほうがましな生活が出来る、という判断。
詳しいことは
「軍隊をすてた国」
http://kenpou-eiga.com/?p=1305
国家予算の4分の一を、教育に注ぎ
子どもたちを健全に育てることに全力を挙げてきた国。
(映画は2001年作で、古いですが)
自国が軍隊を捨てただけでなく
隣国に平和を輸出しようとしている。
(でも、理想郷・桃源郷ってわけじゃなくて
人種差別があったり、
やっぱりアメリカに依存していたり、と、
問題点も普通にたくさんある国みたい)
http://www.japancostarica.com/Ozawa/050125.htm
なにせ、戦略として軍隊を捨てる、
現実問題として軍縮をしていく、ってことは
出来ないことではない。
コスタリカみたいな国はきっと、
「誰か、私らに続いてくれんかな?」と
思ってるはず。
「死の往復ビンタ」にたたかれ続けるのか、
それとも
いち抜けた!をして「「向こう側」にいくのか。
アメリカ軍に首根っこをつかまれた国の人間として
出来ることは何か?
うーん、今の私に出来ることは、
やっぱり
「軍隊ない方がお得みたいですよ」
「アメリカについていくの、すごいお金かかりますよ
「日本の財政では無理じゃないですか」
「お金ないのに戦争したら、また負けるんじゃないですか」
と、
自民党議員さんに問いかけ続けることじゃないかな。
(旅のスタート地点にて。カルカッタの路線バス)