南アフリカのフットサルボール

<むつみ>

南ア、開催国なのに一次リーグで敗退しちゃいましたね。

街は、さぞ、がっかりムードでしょう。

勝たせてあげたかったなあ。


ある日のアルで…フェアトレードショップ経営記


SFIDAさんのフットサルボール、南アモデル。

かっこいい。

昨日、うちの息子が、私の姉にねだってアルで買わせておりました。

(翌日には敗退を知ってがっかりしていましたが・・・)


あと一つだけ、アルにあります。

とーーってもキレイです。

使わずに飾っておくのもよいかも?



南アフリカの思い出話をひとつ。

あるmlに投稿するつもりで書いたのですが

出しそびれた文章です。

ここにそっとupしてみます。


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今週、金沢大学の片桐先生がお亡くなりになりました。
といっても、このMLには御存じの方は殆どいらっしゃらないのですが、
お暇な方、どうか聞いてください。
私が障害児教育を専攻していたときに、
授業や実習でお世話になりました。
先生が研究で通っていらしたのは
医王病院にある「重症心身障害児病棟」と呼ばれるところで、
私たちも実習でお邪魔しました。
自分では身動きすることも難しい、重度のハンディをもつ子どもたちが
ほぼ一生をそこですごす病棟でした。
先生は、こどもたちが、見た目にはただ息をする以外なにもしていないように見えても、心電図で見ると、自分の名前を呼ばれたときには反応していることなどを
教えてくださいました。
どんなにゆっくりでも、働きかけによって
その子なりの「発達」がある、ということを
教えてくださいました。
人生に目的や成し遂げる何かがなくても
ただ生きて、そして少しずつ成長していく
それもまた命のあり方だということ。


3年生の時、片桐先生に仲介していただいて、
ベトちゃんドクちゃんの教育に携わった野間先生を大学にお呼びして
友人と講演会を企画しました。
ここで聞いたベトナム戦争の話は、
何も知らなかった私がほぼ初めて聞く
「戦争の話」でした。
そのころ片桐研究室にいらしたのが
コハラさんのダンナさまで、
私たち(一学年下)はゼミでとてもお世話になりました。
ゼミでも、片桐先生の紹介で
重度障害の子どもたちの施設を見学にいき
レポートを書いたりしました。
そのころ金沢に
南アフリカの「アマンドラ」というミュージカルが来て、
学生には高い入場料だったのですが
小原ダンナさんが
「くずは。これはね、お金がなくても、見に行くべきだよ。」
とおっしゃったので、そうか、と思い、
アパルトヘイトが何かも知らないまま見に行きました。
アパルトヘイトという人種差別の実情、
高校生までも逮捕されて拷問されること
それに抗して、音楽と踊りで、
南アの黒人の生きる権利を表現する舞台でした。
その日のステージはすさまじく、力強くて、
息もつけない迫力でした。
普段は反応の鈍い金沢人が
カーテンコールを3度も要求するような
大へんなステージでした。
最後に、「実は今日、私たちの指導者
ネルソンマンデラが
釈放されるというニュースが届いたのです」と
発表されて、会場は大拍手となりました。
私も、マンデラさんがだれかもしらないまま
拍手していました。
人生の大きな転機でした。
片桐先生は、小原さんの結婚式ではスピーチされてましたね。
ぜったいみんなで歌なんて歌わないタイプの先生が、
ちょっと感動しちゃったのか
最後の合唱にそっと声を合わせていらしたのが面白かった。
今の私の立ち位置につながる
大事なものをたくさん手渡してくださった片桐先生。
金沢大学が三つの「学類」に編成されて
そのうちの一つの長となられたと
新聞で見たときにはびっくりしました。
地位などにはまったく頓着しないタイプの先生が
周りから人格を慕われて 請われて責務についたのだと
人から教えていただきました。
えらくなりすぎて、恐れ多かったのですが
去年、思い切ってお手紙を出してみたら、
とても暖かいお返事をくださいました。
いつも新聞で見て嬉しく思っていますよと。
ぜひ遊びに来てくださいと書いてくださってあったのに、
恐れ多くて、行かないままで、
でも、せっかく偉くなられたのだから
何かでご一緒できないかしら
たとえばバンクのこととかで・・・
なんて考えたりしていました。
それが突然の訃報でした。
20年の間に、ベトナムも変わり、南アフリカもかわりました。
大学も変わった。
障害のある子たちの立場は、どうでしょうか・・・?
今日は、お葬式を密葬にされた先生の
「お別れの会」があったのですが、私は参加できず、
サッカーを見ながら、思いがいっぱいになり
ここに書きました。
MLのみなさん、
思い出につきあってくださり
ありがとうございます。
ほんとうにさびしいけれど、
さらに二十年後には
たとえば ガザの封鎖は昔話になっているのかもしれないですよね、
その日を思い描いて日々過ごさなくてはと
まだそのへんにいらっしゃる気配の片桐先生のたましいに
話しかけてます。

15年前

4 コメント

  1. SECRET: 0
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    せっかく書いたのに流せばよかったのに。
    でも確かにMLって読む人の顔がわかるので、書き込むのためらうこともありますけどね、今なんかは選挙の話は書きにくいし。難しいところです。

  2. SECRET: 0
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    読んでくださり感謝です。
    あまりに独り言な文で、流すのをためらいました。ブログはその点、いいですね。独り言okですから・・

  3. SECRET: 0
    PASS:
    むつみさんのお話は心に染み入ります。昔の事など色々沢山紹介して下さい。

  4. SECRET: 0
    PASS:
    ありがとうございます・・・
    本当に素敵な先生だったので、思い出話はまだまだ沢山あります。学生のころには、その貴重さに、気が付いてなかったけど・・・もっとたくさんお話し聞きたかった・・・「そうやって後悔しながら過ぎていくのが人生だよ」って、しみじみ話してくださったのも片桐先生だったわ・・・・

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