<むつみ>
セールでニット小物たちが旅立っていきます。小物はよく売れるのですが、今年はセーターなどの大物が、定価のころからあまり売れず、セールになってからも動かず。アルには珍しく40%引でも。残念がっていましたが、ここにきて少し、動きが。よかった!!!!
大きいもので、仕入れを迷ったときは、
「もし売れ残ったら自分が買うかどうか」
が判断基準になることがあります。
残ったら自分が・・・・残ったら自分が・・・・と思っているうちに、本当にほしくなり、「出来れば売れ残ってほしい」と思うようになり。。。その服が売れていくときの気持ちはとっても複雑!
皆さん、ご経験がありませんか?
アルで何かを選び、レジの前に立ち、お会計をしようとしたときに、どこからか妙な視線がビームと突き刺さってくる。
「それは私が買おうと思っていたのに・・・・・」と・・・・
そのビームはたいてい、キッチンの奥から飛んできてませんか?
こわいですねえ!
嵐ちゃんは、自分が好きで毎日声をかけていた商品が売れていくとき、たまらずレジの横まで出てきて、じーっと覗く癖があり、店長に「見ない!」と釘をさされているそうです。だから、出てくることはガマンしているけど、見てしまうことはガマンできず、奥のほうからビームを飛ばしているらしいです。
ビームに焼かれないよう、お気をつけて!!
さて、嵐ちゃんはいろんな職歴があり、カメラウーマンだったこともあります。そんな嵐ちゃんが、もちろん観にいきたい映画
「未来を写した子どもたち」
について、ふぁる通信に、こんな文章を私が書きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
インドのカルカッタ(現コルカタ)は、
思い出の場所です。
幼稚園の先生をやめた後、
4ヶ月、かの地で修行しました。
単身、アポなし、算段もなしの旅。
マザーテレサがご存命だったので、
マザーを慕って大勢の外国人が滞在していました。
私も、マザーが作った施設「死を待つ人の家」「シシュバワン(児童施設)」「ガンジースクール(路上の子たちの学校)で働き、ボランティア専用の宿に滞在。(移動カフェ「旅カフェ号」の、ほしのあきちゃんとは、時期は違うけど、同じ宿にいた仲間なのです)
この街に入って最初の一週間は、ショックで寝込みました。ゴミだらけ、路上に人が溢れ、朝からうずくまる人の横を通勤していくスーツのサラリーマンたち。バス停で調理する母親、柱につながれた赤ん坊。まとわりつく湿気、息が止まりそうな熱気。
ショックのあとには、
マラリヤに感染して、
その熱が引いた頃には、
体も心も馴染んでいました。
午前中は死にゆく人たちをお世話し、
午後は爆発するくらい元気な子どもたちと勉強、遊び。
施設には時折、ツアー客(!)が来ました。
数十分滞在して、これが貧困!と学んで帰るのです。
子どもを抱きしめて、
しくしくと泣き出したドイツ人のマダム。
私たち、今、楽しく遊んでいたところだったんだけど・・・・
こわごわ覗いて写真を撮っていった
日本人の団体。
被写体になってみて
私も初めて気がついたのですが、
同情されても、なんだか、
つくづく、どうしようもない。
そういう私も、
4ヶ月かけての「覗き見」者でした。
貧しさで子どもが飢えているのを、
可哀想だと思わずにはいられないけど、
その子の視線で見てみれば、
悲しいだけじゃない人生がある。
最悪最低な環境の中にも、
確かに、人生がありました。
「未来を写した子どもたち」
カルカッタの売春窟の子どもたちが、
女性ジャーナリストから写真の取り方を習い、
その写真たちが欧米で評判となり・・・
という映画。アカデミー賞ドキュメンタリー部門の賞、
他、20ほどもの賞を受賞した作品。
底辺の下の下に生きる子どもたちの、
何が評価されたのでしょうか。
観た人は、希望を感じた、というのです。
夢など決して持つことが許されない世界に生きる子ども達が、それでも自分たちの未来を、切り取って見せるからでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1月24日(土)からシネモンドさんにて。見たいです。