教育基本法

<クズハ>

教育基本法改正案が、衆議院を通過。

テレビでも新聞でも、教育系の企画だらけですね。

 学校かあ・・・

 今、小学校には「心のノート」というものがあり、「親や家族を大事にしましょう。自分の住んでいる地域も大事にしましょう。その延長線で、自分の国を愛しましょう」と子どもたちに語りかけているそうです。

 小泉さんは、「国を愛するのは、法律以前の(あたりまえの)問題だ」と言っていましたし、自分の生まれた国を愛するのは当然のことだっていう声はよく聞きます。

 どうですか?そう思いますか?

 小学校3年生のときに、母の日に合わせて、お母さんを題材に作文を書く宿題が出ました。私は母とそりのあわない子どもで、「お母さんにいっつも怒られる、原因がよくわからない」と書いたら、いつも作文はほめられるのに、このときは先生がコメントをつけてくれなかったのを今でも思い出します。先生は私のこの作文のことに触れないようにしていたみたいでした。

 親にいまいち好かれない子どもってたくさんいると思うし、人間同士そりが合わないってことは家族でもよくあることだけど、子どもはどうしても、「自分が悪いから親に嫌われる」と思ってしまうみたいです。虐待とかのひどいケースでも、やっぱり自分がいけないから殴られるんだと子どもは思ってしまう。

 でも学校では、母の日には「お母さん大好き」って作文書かせたいんですよね。今はそんなこともないのかな。私の子ども時代は、やっぱり学校は建て前が大事なところだったと思うし、子どもなりに、この小学3年以降は、建前を書いていればいいんだなと思って作文でもなんでもやりすごした記憶があります。

 それでも私の親は、合わないなりにがんばって私を育ててくれたし、私も、性格が合わないのは別に私が悪いわけでなくて母が悪いわけでもないんだと理解するようになったし、まあ良かったと思うんですが、虐待されている子どもに向かって「家族を愛せ」は、・・・・・・・・・・

 NHK特集で見た、児童施設に密着の番組を思い出します。アル中の父親から逃げ出して保護された長男が、親が立ち直ろうとしている姿に、「見捨てられない」と、小さな弟や妹を連れて家に戻る。飲んでしまったり殴ってしまったりするダメダメな親に、「それでも親だから」と、歯を食いしばってついて行く長男。

 そのあと出てきた高校生のケースは悲惨で、母親に虐待され、売春をさせられ、それも母の見ている前で客を取らされていたというんです。「・・・この子はそれでも、お母さんは大好きだ、というんです」と、施設の職員が声をつまらせてました。

 誰にいわれなくたって、親や家族を愛したい、安心して身を預けていたいと、小さい子なら大抵は思うんじゃないですか?自分の生まれた町や、国を、すっきり好きになれて、帰属意識をもてたら、そりゃあ幸せに決まってます。それが出来ずにいる子どもたち(大人も、かもしれないけど)に、あえて、学校が「愛せよ」、って迫るって、なんなんだろう。通知簿にまで入れて評価するって、なんなんだろう。と私は思います。皆さんはどう思われますか。

 自分の国のこんなところが大好きだと言える子はいえばいいし、好きになれない訳がある子どもをそれ以上追い詰める必要がどこにあるんだろう・・・・・その必要があるご時世とは・・・・やっぱり、とうとうこれは「戦前」に差し掛かってきたのかと思わざるを得ません。

 戦後、いまの基本法が出来たときに、「教育委員」は市民から公選で決めるということになったそうです。戦前は国が教育に立ち入りすぎて国を批判できる人間を育てられなかったという反省から、戦後は、特定の政治勢力に組せずに教育をやっていきましょうということで、そういうシステムになったとか。

 でも、結局すぐに、自治体の首長が教育委員を指名するというシステムに変わってしまったのだそうです。自民党の市長さんならそれっぽい人ばかり選ぶでしょうし、公明党の町長さんならやっぱりそれっぽい人ばかりを・・・・となるんでしょうね、やっぱり。自民党と民主党と社民党と共産党の支持者をひとりづつ、ってことには、ならないんでしょうねえ~

  そこらへん、こんどの自民案ではどうなっているのか、知らないのですが、ご存知のかたがいらしたら教えてください。

 まだ、参議院の審議があるし、自分なりに、政治家さんたちに、FAXやメールなど、アタックしてみようと思っています。こんな形での「改正」を許すのは、まず過ぎる気がするんです。 

 

 

 

 

 

 

19年前

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