「私は4歳から働いています」

<クズハ>きのう、歌の話を書いたんですが、今日ある場所でおんなじ話をしましたら、「えー、ナナさんていくつだっけ」と話がふくらみました。「ぐっちも同じくらいの年だよね」・・・・・・・はい、ひとつ違いなんですが、彼女の音楽の趣味はすこーし実年齢とずれていて。オーガニックコットンのアイテムの中に「キモノスリーブ」という、袖のひらひらしたものがあるんですが、それを試着したお客様に向かって「中森明菜の’デザイア’の衣装みたいですよね」と話しかけたことがあるんです。お客様は10代の方だったので、顔面いっぱいの「????」   となりにいらしたお母様が「わたし、わかりますよ」とフォローしてくださり・・・・

この話はよくネタで使ってしまうのですが、今日も大笑いをとりました。今日は何の集まりだったかというと、フェアトレードくらぶのメンバーで、月にいちどのバナナの仕分け・配達もずっと一緒にやってきた伊藤さんが、名古屋にお引越しされることになり、子育て仲間たちで集まって送別会。

伊藤さんとの思い出はつきない。3人目を出産したあとに「中橋の家」の店に来てくださって、フェアトレードの商品は選ぶのが本当に楽しい、と、内祝いの品を選んでくださったときのこと。一緒に、児童労働関係の講演会の準備をしたこと。子どもさんたちが通う保育園のバザーに、フェアトレード品の出品を働きかけてくれたこと。私が子どもを産んだあと、わらべ歌のサークルに誘ってくれたり、子どもを時々連れ出してストレス解消してくれたこと。くらぶのミーティングのとき、話に夢中になる私のかわりに子どもたちの相手をしてくれたこと。

児童労働の会のときは、講演会のタイトルがなかなか決まらなくて、ミーティングが長引き、煮詰まって、もうどうしようかなと思い始めたころ、伊藤さんが出してくれたアイディアがずばりとてもよくて、一同納得した、あのときのこと、よく覚えています。

児童労働というと、一般的には、子どもたちを救い出さなきゃとか 児童労働をなくさなくちゃ という方向に話がいくと思うんですが、私たちは、いくつかのケースを読んで、悲惨さばかりを強調するのは違うんじゃないかと感じていたんです。大人と同じように働き、技術を身につけていることを誇りに思っている子どもがいたり、仲間と力をあわせて生き抜いていっている子どもたちもいる。何よりも、子どもたちが働く場所を無くしたらそれで問題が解決するわけじゃない。

だけど、4・5才から、まったくほかの道が選べなくて、ただただ重労働に明け暮れて若くして死んでいくっていうのはやっぱりつらいことだし、そういう子どもたちが作ったものが私たちの日常にも入ってきているのはつらいし・・・・・同情を引くんじゃなくて、事実をありのまま見てもらえるようなタイトルはないかしら・・?

と悩んでいたら、伊藤さんが、「じゃあ事実をそのまま使おう。’私は4歳からはたらいています’って」と出してくれたんです。ああそうか・・・とホントに感心したのを覚えてます。講演会には120人を超える人が集まってくれました。

4人のこどものお母さんで、いっそがしいはずなのにいつもニコニコしてて、自分に出来ること何かないかな?といつもいつも考えていた伊藤さん。お別れは本当にツライけど、名古屋での新生活に幸多かれと祈ります。

20年前

1件のコメント

  1. SECRET: 0
    PASS:
    そんなにおはなしをしたことがあるわけではないけど、お店で出会ったり、イベントに参加させてもらったときに出会ったり、本当にいつもステキな笑顔で大好きな方でした。もっともっとお話をしてみたい!と思っていた方だったので、この記事を読んで、私も淋しいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です